階段国道が通学路だった竜飛中学校


こんにちは。

エバンジェリストのしょんじです。

今回は私が卒業した中学校の話を私目線でお伝えします。


私は昭和56年3月の卒業です。

高校を卒業したのが昭和59年3月です。

出身校の竜飛中学校は昭和59年に閉校しました。

現在は階段国道(国道339号線)の中腹の休憩スポットになっています。


当時は各学年1クラス。

つまり三学年で3クラスしかありませんでした。

私のクラスは入学時は男子8名女子7名で計15名でしたが、

卒業時には女子2人が転校していて13名での卒業でした。


私が通学していた頃は、

お昼ご飯を家に帰って食べてもOKでした。

これ珍しいですよね?😁

記憶に有るのは家で昼ごはんを食べながら

樋口可南子さん主演の「こおろぎ橋」というドラマを観たことです。

それから40近く経って実際に石川県にある「こおろぎ橋」に行った時に

「あれ?ここがドラマの舞台だったのか」と懐かしく思ったものです。


龍飛中学校は津軽半島最北端の中学校で、

木造の古い校舎でした。

一見田舎の大きな家?と思うほどの

学校としてはあまりにも小さな校舎で、

なんと併設して校長先生の職員住宅があり、

校長先生は外に出ること無く学校と家を行き来出来ていました。

校舎のすぐ下には教職員用の平屋の戸建住宅が2軒、

校舎から少し上に上がったところに木下さんとう方の家があり

その隣に単身者用の教職員住宅が一軒ありました。

単身者用の住宅は一軒家を複数名でシェアする形のものです。

女性の教職員の先生は私の同級生の家に下宿のような形で

間借りしていました。

土曜日の夜などその友達の家に泊まりに行き、

先生とトランプやゲームをして遊んだ記憶があります。

今にしておもえばなかなか映画のような中学校生活でした。


そんな龍飛中学校も私が卒業してから三年後に閉校となり

当時のとなりの中学だった三厩村立宇鉄中学校と合併しました。

4つ下の妹は龍飛中学校に入学し、

宇鉄中学校卒業です。


今は自分の記憶の中にしかなく年々記憶が薄れていっている感じがします。

その前に少しでも記憶があるうちにと思いこの記事を書いています。

そしてこの記事を書くにあたり資料を提供して下さった

現外ヶ浜町立三厩中学校の校長先生にお礼を申し上げます。

本当にありがとうございました。


以下に懐かしの校歌の歌詞を載せます。

もしも竜飛中学校卒業の人がこの記事にたどり着いたら

一度口ずさんでみて下さい。

ちなみに校歌はいつも2番までで、4番まで歌ったことは無いです。

竜飛小学校も同じ校歌でした。


旧三厩村立竜飛小・中学校校歌
作詞 相馬 正敏
作曲 清野 健


汐路はるかに 北海道
眺めわたすや 竜飛崎
高き理想を 胸に抱き
我等励まん いざ共に


空にそびゆる 灯台の
四海を照らす 光芒に
平和の道も ひらかれん
我等奮わん いざ共に


いかに波風 荒くとも
学びの道に いそしまば
文化の華も 薫るらん
我等勉めん いざ共に


怒涛逆まく 津軽海峡
海幸求め 今日もゆく
塩乗り切る 船のごと
我等進まん いざ共に








良いびょん@奥津軽

青森県津軽半島の北部に位置する奥津軽。「冬の間は体育座りでじっと春を待っている」そんなゆる~~い人たちのたまり場。「田舎」「地域活性化」「過疎地」「自然」「美しい」「魚介類」「山菜」「パワースポット」「田舎でもできる事業」等のキーワードに関する事を複数名で発信して行きます。よろしくお願いします。

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